■ 横須賀高校の紹介
明治三十九年の神奈川県議会の席上で県知事官房の坂仲輔部長は、こんなことを言っています。「本県の県立中学校生は、人口比でみますと全国四十六府県のうち、最後から一、二番というありさまです。全国平均が人口一万人に対し中学生が二十人であるのに、本県は十人余りで非常に不足しております」。当時は三浦、横須賀の中学生は、長い時間をかけて逗子や横浜の中学に通うしかありませんでした。

この期待を一身に背負い、明治41年(1908年)神奈川県下で4番目の県立中学校として神奈川県立第四中学校が開校されました。この中学を設置することを決める神奈川県議会の席上で、当時、県会議員だった小泉純一郎さんのお祖父さんの小泉又次郎さんが、強い推薦を行ったという議事録が残っています。

初代校長には、伊藤博文など著名な政治家を輩出した松下村塾の出身で、吉田松陰の甥である吉田庫三先生が任命されました。この任命には当時の神奈川県知事であった同じ長州藩出身の周布公平(すふこうへい)氏が大きく関わっていたと云われています。山鹿流軍学の基礎をなす、尚武、文武両道の吉田庫三先生の精神は、坂東武者の地とあいまって横中魂の中核を形成しました。

横須賀市域では初の旧制中等教育学校であり、横須賀中には軍関係の子弟や青雲の志を抱く少年たちが結集しました。大正2年(1913年)に神奈川県立横須賀中学校となり、昭和23年(1948年)に学制改革により神奈川県立横須賀高校となりました。昭和25年(1950年)に女子が52名入学し男女共学となりました。校歌も”坂東武者”から”天がける白雲”に変わりました。古くから、横中(よこちゅう)、横高(よここう)の愛称で呼ばれていました。

吉田庫三先生の”日本の礎になる人材になれ”、という大号令のもと「文武両道」と「自主自律」を掲げ、規律正しく厳格でありながら自由を重んじる校風が形成されていきました。戦前は海軍兵学校、陸軍士官学校を目指すエリートが入学する学校としても知られていました。

ノーベル賞受賞者(小柴昌俊さん)、五輪金メダリスト(猪熊功さん)、内閣総理大臣(小泉純一郎さん)という日本のトップを揃って輩出した学校としても有名です。

横須賀高校が小泉純一郎元首相などの多くの政治家を輩出しているのは、この学校の生い立ちに関係していると言っても過言ではありません。

【参考】わが母校わが友(毎日新聞社 1976年)、横須賀高校ウィキペディア

■ 沿革

1907年(明治40年)8月7日 – 神奈川県立第四中学校の設立認可
1908年(明治41年)6月20日 – 開校式を行う。以後6月20日を創立記念日に制定
1913年(大正2年)3月11日 – 神奈川県立横須賀中学校に改称
1938年(昭和13年)4月1日 – 神奈川県立横須賀明徳中学校設置
1943年(昭和18年)4月1日 – 学制改革により明徳中学校廃止、横須賀中学校夜間部として併設
1948年(昭和23年)4月1日 – 学制改革により神奈川県立横須賀高等学校に改称
1950年(昭和25年)4月1日 – 男子校から男女共学校に移行
1957年(昭和32年)10月10日 – 新運動場完成
1959年(昭和34年)3月28日 – 旧運動場跡地に校舎新築開始、A棟西側が落成
1976年(昭和51年)2月6日 – D棟が落成し、現在の校舎4棟全てが完成
1989年(平成元年)11月9日 – 現体育館落成
1994年(平成6年)7月5日 – セミナーハウス「記恩館」落成
2002年(平成14年)4月1日 – スーパーサイエンスハイスクール (SSH) 協力校に指定される
2008年(平成20年)10月25日 – 創立100周年記念式典を開催
2016年 (平成28年)4月1日 – スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される
※ 横須賀高校ウイキペディアより引用

横高の校章