▶同窓会研究8「昔の朋友会と卓球部の黄金時代のお話」中村さん(高9期)

▶同窓会研究8「昔の朋友会と卓球部の黄金時代のお話」中村さん(高9期)

■ 参加者
・お話:中村佳晃さん(高9期)
・聞き手:山田さん(高11期)、和田さん(高17期)、石渡さん(高23期)、廣瀬(高25期)
■ 実施場所:横須賀市文化会館 第4会議室(横須賀中央)
■ 実施日時:2020年 12月13日(日) 14時〜16時
■記録:廣瀬(高25期)
(K:聞き手 N:中村さん)

K:本日は、お忙しい中、記恩ヶ丘の会の座談会にご出席いただきありがとうございました。始めに簡単に自己紹介をお願いします。
N:今は息子が跡を継いでいますが、横須賀の上町で歯科医院を開業しています。1957(昭和32)年に横須賀高校を卒業して昭和39年からずっと、母校の校医を担当していました。校医をやっている関係上、昭和39年から50年以上朋友会とお付き合いしています。今までの朋友会の総会には全て出席しております。

K:昔の朋友会はどんな様子だったのでしょうか?
N:初めの頃は、いろいろなものが決まっていなくて、事務所も朋友会の会長の自宅を使っていたという時代がありました。はっきりした会費というものも集めていませんでしたので、お金がありませんでした。

K:同窓会として、どんな活動をしていたのでしょうか?
N:総会や懇親会が主な活動でしたが、懇親会などは会費制でやっていました。横須賀中央の龍苑(りゅうえん)の社長が横中の卒業生でしたので、そこを良く使いました。龍苑の2階に広い和室がありまして、そこで100人くらい集まって懇親会をやっていたのを覚えています。

K:会費はいつ頃から徴収するようになったのでしょうか?
N:朋友会の会費は、昭和38年の卒業生から集めるようになったようです。入学して、ひと月ごとに50円積み立てて、3年間で1800円貯まったお金を会費として徴収していました。今のように一般の会員から会費を集めるようになったのは昭和49年頃からです。

K:会報は、どのように作っていたのでしょうか?
N:パソコンがない時代でしたから「朋友」は苦労して作っていましたが、お金がありませんから会員に郵送するということはやっていませんでした。総会の時に配っていたのではないかと思います。

K:朋友会は、どんな組織でしたか?
N:昔は組織らしい組織はありませんでした。委員会などもなくて、会長が独断で色々なことを決めていたように思います。

K:朋友会が今のように本格的に活動を始めたのはいつ頃からですか?
N:1989(平成元)年に母校創立80周年の行事を執行した頃からだと思います。この行事をやるために、1200万円の目標を掲げて同窓生に寄付を募りました。蓋を開けてみると1700万円くらい集まりました。体育館の緞帳(どんちょう)、ピアノ、ビデオ撮影、名簿作成、母校創立80周年記念特別号「朋友」の発行、記恩ヶ丘の整備、記念墓参旅行の補助金などに使いました。

K:朋友会の組織は、いつごろ整備されたのですか?
N:創立80周年のときには、すでに委員会ができていて組織として活動していました。創立80周年記念特別号の「朋友」には次のような記録が残っています。

① 会報委員会:会報「朋友」の編集と発行 11名(1980(昭和55)年発足)
② 資料委員会:母校と朋友会に関わる有形無形の資料の収集と保存 6名(昭和56年発足)
③ 記恩ヶ丘保存会:旧記恩ヶ丘を現在の記恩ヶ丘に移築・整備 2名(昭和56年発足)
④ 親睦委員会:毎年1月の新年拡大幹事会に続く懇親会、新春歌舞伎観劇会、6月の定期総会後の懇親会、鎌倉史跡散歩、吉田庫三校長の故郷の萩旅行などの企画立案・運営 4名
⑤ 総務委員会:各委員会との調整、総会などの会議の調整、卒業式などの渉外関係への出席、事務局運営の効率化、予算編成・管理、事業計画の企画・立案(昭和61年発足) 4名
⑥ 名簿発行委員会:会員名簿の発行・発送(昭和61年発足) 22名

K:ずいぶん、しっかりした組織が出来ていたのですね。たくさんの人が朋友会の運営に関わっていたのですね。
N:いやいや、名前だけの委員会もありましたよ。会報委員会と親睦委員会のメンバーが積極的に活動していました。当時は校内幹事の先生方が、たいへん協力してくれました。

K:印象に残っている朋友会の行事はありますか?
N:小柴さんの文化勲章受賞とノーベル賞の受賞のお祝いの会に立ち会わせていただきましたが、あれだけ偉い人なのに腰が低いことには驚きました。お招きした時にハイヤーを手配しますと申し出たのですが、固辞されて、娘さんが運転する自動車に乗って来られました。お祝い金も受け取らないので、内緒で奥様に記念品をお渡しするということにしました。奥様からは、丁重なるお礼状をいただきました。

K:現在でも朋友会の常任幹事として活動されていますが、最後に今の同窓会運営に何かアドバイスがありますか?
N:2017年に会長が変わった時に、大幅な会則の変更をやりましたね。あれには驚きました。会則は、1行変えるだけでも大変なのに、あれだけ大掛かりな変更ができるのかと思いました。会則の改定で、委員会が廃止になりましたが、2万人を超える朋友会を運営していくのに、委員会という組織がないと、うまく行かないのではないでしょうか。

朋友会も最初は組織がありませんでしたが、みんなが活動しやすいように知恵を絞って委員会を作ったのです。朋友会の会員には優秀な人材がたくさんいます。その人たちを活かすためにも組織づくりが急務だと思います。時代の変換期で苦しい時期だと思いますが頑張っていただきたいですね。

K:そうですね。これからはネットの時代になりますが、時代にマッチした組織づくりが必要だと思います。貴重なご意見、ありがとうございました。お時間も迫ってきましたので、本日のもう一つのテーマである卓球部のお話をお伺いしたいと思います。

◆ ◆ ◆

N:それでは、横高の卓球部が強かった時代のお話をしましょう。横須賀高校は、昭和29年から32年まで連続して4年間、インターハイに出場しました。その後、昭和34年、40年にも出場しています。関東大会も常連でした。以下に記録をまとめました。

① 昭和29年
 ・インターハイ(丸亀):団体初出場、シングルス代表
② 昭和30年
 ・インターハイ(札幌):団体出場9位、シングルス3位
 ・関東大会:シングルス、ダブルス代表
③ 昭和31年
 ・インターハイ(横須賀):団体出場、シングルス16位、ダブルス出場
 ・関東大会:団体、シングルス代表
④ 昭和32年
 ・インターハイ(酒田):団体出場、シングルス、ダブルス出場
 ・関東大会:団体代表
⑤ 昭和34年
 ・インターハイ(名古屋):団体出場9位、ダブルス3位
⑥ 昭和39年
 ・関東大会:団体代表、シングルス代表
⑦ 昭和40年
 ・インターハイ(長崎):団体出場

K:輝かしい成績ですね。
N:当時は、神奈川県には、三浦高校やY高などの強豪高校がありましたが、横高はさらに強くて敵なしでした。

K:中村さんは、昭和29年のご入学ですから、まさにこの渦中におられた訳ですね。
N:横高の卓球部の黄金期に選手として活躍できたことを光栄に思っています。

K:学校側も卓球部を強くするためにに力を入れていたのでしょうか?
N:特にそのような働きかけはなかったと思います。生徒たちの情熱と努力の賜物でしょう。当時は卓球台は古いものしかなく穴だらけでした。大津高校に卓球台をリヤカーでもらいに行ったこともありました。

K:大津高校からだと、かなりの距離がありますね。
N:当時は若くて何をやるにも一生懸命でした。それに、いただいた卓球台の方が、横高のより良いものでしたから頑張りましたよ。昭和30年の後半に中川校長先生から新台をプレゼントしていただきましたので、みんなで大切に使用しました。

K:モノを大事にされていたんですね。それにしても昭和30年のインターハイでシングルス3位、昭和34年のダブルス3位というのは、すばらしい成績ですね。今だったら、オリンピック出場も夢ではなかったかもしれませんね。
N:インターハイには、もっと強い高校が出ていましたので優勝は難しかったですね。でも、そういう高校は日本全国から強い生徒を集めているのです。横高は、そんなことはやっていませんからね。当時は、卓球部だけでなく、陸上部なども強かったです。

K:まさに文武両道だったのですね。このお話をお聞きして、横高の卒業生だということが誇らしく思えてきました、このお話は、他の同窓生にも知ってもらいたいですね。愛校心が膨らんで朋友会の会費収入増にも貢献できるのではないでしょうか。

本日は、貴重なお話をいただき、たいへん有意義な時間を過ごすことができました。
本当にありがとうございました。コロナもあり、寒くなりますので、お体を大切にしてください。

【参考】
母校創立80周年記念特別号「朋友」

▶同窓会研究プロジェクトについて

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