▶吉田庫三校長、岡本傅之助(さいか屋創業者)の師弟の形と「乃木大将の書簡」

ぶらり散歩「変わりゆく横須賀の風景」の中に出てくる、さいか屋の創業者の岡本傅之助(中2期)さんは、横中(現横高)の初代校長である吉田庫三校長とは師弟の関係にあります。(高10期 上田 寛)
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幼くして両親を亡くした岡本傅之助は、3年生の時、家業を切り盛りしていた支配人が亡くなったため中学を中退し、1912(明治45)年「雑賀屋呉服店(後のさいか屋)」店主となります。家業を継承するため退校届を出すことになった岡本傅之助に、吉田校長は「学校をやめるな」と2ヶ月にわたって説得を試みたといいます。しかしながら退学の意志は固く、「それなら早稲田の講義録をとって勉強したら良い」と、ようやく退学を認めたとのエピソードが残っています。

『岡本傅之助随想録』のなかで、長男の岡本良平は「父は中学3年修了時点で校長から卒業証書をやっても良いと言われつつ、家業のため中退して実業界に入った。以来、商業学、経営学を書籍購読と独学によって習得した」と語っています。

岡本傅之助は豊島尋常高等小学校を首席で卒業し、総代として卒業証書を受け取るなど学業成績は抜群でした。中学入学後、最初の国語の授業で石川丈山作の漢詩「富士山」をスラスラ暗唱し、授業風景を見守っていた吉田校長を驚嘆させたと言います。この時から吉田校長と岡本傅之助の師弟の付き合いが始まります。

横高の校史資料室に”乃木大将が吉田校長宛に送った書簡”があります。この手紙は当時、学習院院長であった乃木希典が、東宮(後の昭和天皇)に進講を行なうに際し、陽明学に造詣の深い吉田校長に教本の手配を依頼したものです。この手紙はその後、教え子であった岡本傅之助に形見として贈られ、『さいか屋社史』に写真と共にその経緯が詳しく記されています。横須賀高校創立90周年時、株式会社さいか屋・雑賀屋不動産株式会社より謹呈されたものです。(敬称略)

※参考資料
1.『岡本傅之助随想録』岡本良平編
2.『我が母校 我が友』 毎日新聞横浜支局編
3.校史資料室書簡

▶吉田庫三校長、岡本傅之助(さいか屋創業者)の師弟の形と「乃木大将の書簡」” に対して1件のコメントがあります。

  1. 向坂勝之 より:

    岡本傳之助氏に伝わった吉田庫三宛乃木希典の書簡は貴重なものです。
    達筆を読み下す力がないのが残念ですが、解説にある通り、どうやら(学習院の教材として)吉田に手配を頼んだ書物が届いた旨を知らせたもののようで、『武教講録』『小学本論』などの文字が見えます。おそらく現在は吉田松陰の『武教全書講録』として出版されているものの一部ではないかと思いますが、詳細は分かりません。吉田庫三先生は、伯父の吉田松陰について教場ではほとんど口にしなかったと言われますが、同じ親戚でも乃木は違ったのでしょう。乃木はこうしたテキストで、後の昭和天皇に何を教えたかったのか、興味がわきます。
    乃木が明治天皇の死を、横須賀の先生の官舎?で一夜を明かした翌朝に知ったという話は、司馬遼太郎の『殉死』に詳しく書かれています。多分事実に近いのだろうと思います。
    共に有名人とはいえ、「横須賀市佐野 吉田庫三殿」「東京府学習院内 乃木希典」で郵便が届いているのが面白い。「希典 吉田賢兄」という宛書も、20歳近く若い親戚に対する礼として、なかなか丁寧です。

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