▶1964年東京五輪聖火ランナーの後藤和夫さん(横高陸上部)のご紹介

【タウンニュース 横須賀版 2019年7月26日号】
https://www.townnews.co.jp/0501/2019/07/26/490849.html

1964年東京五輪聖火ランナーの後藤和夫さん(高17期・陸上競技部OB)の記事がタウンニュースに掲載されていましたのでご紹介いたします。東京オリンピックの2ケ月前に、行われた全国高校陸上競技対校選手権大会で横高陸上競技部が全国優勝した時のメンバーの一員でもあります。800mで3位に、入賞しました。

後藤和夫さんは、現在も毎日走り続けて、横須賀選手権、横須賀市民大会などに出場しています。今は、陸上に加えて畑仕事やゴルフ、絵を描くことなど多趣味で多忙な日々をすごしているとのことです。(高10期 饗場元二) 

  

64年東京五輪聖火ランナー 「頑張りすぎず、走り続ける」 衣笠町在住 後藤和夫さん

2度目の東京五輪開催が近づき、取材も増えたという後藤さん。「(今回の)聖火ランナーは、チャンスがあれば走ってみたい」と語った

 2020年の東京五輪開会式まであと1年を切った。聖火ランナー募集も、先月から始まっている。今から遡ること55年前-―。1964年の東京五輪、聖火リレー最終日にランナーを務めたのが後藤和夫さん(73歳・衣笠町在住)。最終走者へ引き継ぐ7人のうち、第2区約800mを激走。日本で初めての五輪に沸き立った当時の様子、その後の”陸上人生”を振り返ってもらった。

インターハイ800mで3位の実力

 前回の東京五輪聖火リレーは、9月上旬から約1カ月かけて全都道府県を回り、4コースを繋いだ。陸上総距離6755Km、走者は10万人超と記録されている。都庁に集められた各コースの聖火は「集火式」ののち、開会式当日の午後、皇居前から国立競技場へ男性5人・女性2人によってリレーされた。

 その一人が後藤さんだ。横須賀高校の陸上部3年、インターハイで総合優勝を果たしたメンバーで、個人では800m3位を記録した。「最終日のランナーに」と正式な報せが届いたのは、大会が終わって数日後の8月13日。「東京近郊の高校生」を各県の陸連が推薦する形だったという。「実は、最終走者という報道もあったんです」。日本で開催する初めての五輪で報道もヒートアップ。各社の取材が舞い込み、一躍「時の人」に。自宅前には放送局の中継車が待機し、週刊誌でも特集された。当時の記事にはランナーたちを評し、ずらりと並んだメンバーの写真と共に-慎重に選ばれただけに、美しいからだ、力強いフォームの持ち主ばかり。厳粛な祭典の巻頭をかざる大役を果たすにふさわしい人たち-と記されている。

トーチの重みと「重責」

 「当日のことは、いまでも鮮明に覚えています」。何回か現地で練習し、周囲からは「格好よく走れよ」との激励の声。そして10月10日、自分に与えられた区間は桜田門から三宅坂までの第2区。「親戚や大津の女子高生の顔も見えた。白バイの後に続いて、お堀端を気持ち良く走れた」と回想する。トーチの重さは約1・3kg。持ち手が下がらないように掲げながら走る――。第3走者に渡り、文字通り「肩の荷が下りた」というのが率直な感想。その後、聖火台に灯す最終走者を務めたのは、広島に原爆が投下された日に生まれた坂井義則さん(早稲田大)だった。

運動と無縁の少年時代

 小学校入学前、左足に骨髄炎を患い、「しばらく運動とは無縁の生活だった」。池上中では卓球部に所属していたが、同級生に誘われて陸上部へ。最初は投てきで、トラック競技へ転向。「体育の成績もそれほど良くなく、なかずとばず」だったが、横須賀高校へ進学後も陸上を続けた。そこで出会ったのが、本間慎司先生。「日本一になる」という意気込みに押されるように、1・2年で自身の記録もぐんと伸びた。3年の関東大会800mで優勝、高校最後の大会(インターハイ)を経て、手にしたのが聖火ランナーの大役だった。

 「大学では文武両道を目指す」。陸上強豪校からの誘いもあったが、高校2年生の頃に抱いた「南米大陸で仕事をしてみたい」という夢を叶えるため、大学ではスペイン語を学んだ。陸上の大会と授業を”はしご”しながら、記録を残した。就職した東京海上火災保険では、社会人チームに所属。日本選手権でも上位に入賞し、ミュンヘン五輪への出場を目標に掲げて、残業後、皇居前広場などを練習場に月700Km近く走り詰めることもあったという。だが、古傷もあり「トップを目指すという目標に対しては、やりきった」と一線を退いた。

「伴走」の新たな世界

 多少のペースダウンをしながらも、赴任先のブラジルでは日系人の大会などに出場。帰国後、誘われたのがブラインドマラソンの伴走だ。「一緒に走る」だけではない。周囲の様子を伝えながら走路やペースに気を配る。「安心して気持ちよく走ってもらう。それに自分が貢献できるのであれば」と、かれこれ20年以上。併走者を長く続けるためにも、日々のランニングは欠かさない。荒天でない限り、ほぼ毎日。佐原や久里浜のほか、母校のグラウンドまで足を伸ばして現役生に声を掛けることも。「3年間地道に練習し、少しずつ力をつけている生徒を見ていると、自分の励みにもなる」。気付けば毎月100Km近く。「走ることがライフワーク。身体の調子を整える感じ」と語る。大きなケガや病気もほとんどなく、今は、陸上に加えて畑仕事やゴルフ、絵を描くことなど多趣味で多忙な日々を過ごしている。

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 もし、聖火ランナーを務めていなかったら―?取材の最後に、そんな質問を投げかけた。「自分は、『走ること』を続けていたと思う。やっぱり陸上と”伴走”する人生を歩んでいたんじゃないかな」―そう語り、日課のランニングに出向いて行った。

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