▶歴史は繰り返す

<<「歴史は繰り返す」20120401>> 高25期 廣瀬隆夫

ノーベル賞をもらった益川さんは、受賞のインタビューで「特別にうれしくありません」と言ったり、スウェーデンで行われたノーベル賞の記念講演の時に、「アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」と冒頭に英語でぶちかまして会場の聴衆を笑わせたりと破天荒な人だなと思っていました。

丸善で偶然、益川さんの本を見つけたので読みました。「学問、面白くなくちゃ」という本。その本の最初に、「自由とは必然の洞察である」という言葉が唐突に出てきます。何のことか、さっぱり分かりませんでした。

自由は英語では、FreedomやLibertyですが、本来は束縛されないとか開放とかの崇高な意味があって欧米人はすごく大事にしています。自由の女神はアメリカの象徴であり、入植者たちは西部開拓で新天地に自由を求めたのです。銃規制が進まないのも自由の精神が足かせになっていると思います。電車の端っこに座っている欧米人に理由を聞くと、「体の半分くらいは自由にさせてくれ」と答えたという話があります。

明治維新にFreedomやLibertyが西洋から入ってきた時、ガチガチの封建主義の中にいた当時の日本人には、このような概念がなかったのではないかと思います。漢籍に詳しい誰かが、自由という漢字を当てはめたのでしょう。英語とは少しニュアンスが違います。勝手気ままという意味あいが強いです。

勝手気ままに振る舞うことが 、はたして自由なのか。これが益川さんの問題提起です。

ここに2つの箱がある。どちらかの箱に100万円が入っている。もう一方の箱には猛毒の青酸ガスが入っている。このようなシチュエーションで箱を開ける自由があるかと言う問題です。

50%の確率で命を捨てるような人はいないと思います。大抵の人は、安全かどうかを事前に良く調べて箱を開けるでしょう。その行為の結果、どうなるかという必然性を洞察することで、はじめて自由を手にすることができると言うのです。それが、「自由とは必然の洞察である」という言葉の意味と説明しています。これは、ドイツ観念哲学の祖のヘーゲルが言ったことらしいです。

益川さんは、この言葉が気に入っていて、科学を通して、こうすれば、ああなる、という必然性の洞察をして自由を拡張することに研究の意味があると考えているそうです。

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私たちが、何も考えずに自由にやっていることも、たくさんの人たちの必然性の洞察の上で成り立っています。信号機がなければ自由に車を走らせることは出来ません。誰かが食べ物の安全性を調べてくれなければ、自由に好きなものを食べることはできません。自然や人間のあり方を洞察して、こうあるべきだと最初に誰かが試してルールを作り、それを守ることで私たちは自由に振る舞うことができているのです。

子どもというものは、とにかく親の言うことを聞かない。勉強しろと言ってもスマホばかりいじっている。ふた言目には自由にやらせてくれと言ってふてくさる。最後は勝手にしろと、いつも決裂する。でも小遣いがなくなると擦り寄ってくる。

「吾れ十有五にして学に志ざす」で始まる有名な論語の言葉で、孔子は「七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)をこえず」と結んでいます。孔子ほどの天才でも、十五歳で勉強を始めて自由を獲得できたのは七十歳、しかも調子に乗るな、と戒めています。

勉強すると言うことは、大学や企業に入るためだけでなく、自由を獲得するために必要なんだと言っても、なかなか理解してくれないだろうと思っています。なぜなら、私もそうでしたから。親父の古臭いお説教なんか聞きたくないと思っているのが子どもなんですね。歴史は繰り返す。

【参考】
学問、面白くなくちゃ(益川敏英 2009年)
自由の真髄(新渡戸稲造 1919年)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000718/files/50896_42010.html

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