▶神奈川県立小田原高校訪問記

小田原に行く機会がありましたので、少し足を伸ばして小田原高校に行ってきました。小田原高校の初代校長も吉田庫三先生で、横須賀高校とは、いわば、兄弟のような高校です。校歌祭くらいしかお目にかかることはありませんでしたが、兄貴分の小田原高校は、素晴らしい高校でした。(高25期 廣瀬隆夫)

吉田庫三先生は、1901(明治34)年 に神奈川県第二中学校(現:神奈川県立小田原高校)初代校長に就任され1904(明治37)年11月5日に和歌山県視学官として転任。1908(明治41)年4月 に神奈川県立第四中学校(現:神奈川県立横須賀高校)初代校長に着任されました。その後、1922(大正11)年に亡くなるまで横須賀高校の校長を務められました。小田原高校は、江戸時代の藩校を起源とする歴史のある高校です。(小田高ヒストリー)

小田原城のある東口には何度も行っていますが、西口で降りるのは初めてでした。駅を出ると小田原城主の北条早雲の立派な銅像が目に入りました。犬の散歩をしている女性に聞きましたら、”おだこう”だったら、この坂の上ですよ、と教えてくれました。オダコウ? 横須賀高校は”よここう”ですが、小田原高校は”おだこう”と親しみを込めて呼ばれているようでした。

坂を登っていくと城山中学があり、その先に長い階段が続いていました。降りてくる小田高生らしき生徒に、この道の他に小田原高校に行く楽な道はないのかと聞きましたら、「ありません。ガンバってください」と笑って応えてくれました。小田高生の忍耐力、精神力を培っているのは、この坂だな、と思いました。この坂は”百段坂”と呼ばれているそうです。

やっとの思いで階段を登りきって小田原高校の正門に入ると、初代の吉田校長と第2代の阿部校長の銅像が出迎えてくれました。吉田校長は、質実剛健(しつじつごうけん)の校風を樹立し、阿部校長は、至誠無息(しせいむそく)、堅忍不抜(けんにんふばつ)を校訓に定めた、と書いてありました。山県有朋元帥の書(明治44年)で至誠無息、東郷平八郎元帥の書(大正3年)で堅忍不抜の校訓が彫られた大きな石碑がありました。

・質実剛健:中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましいこと。
・至誠無息:この上ない誠実さ、まごころを持って生涯を貫くこと。
・堅忍不抜:つらいことも耐え忍んで、どんな困難にも心を動かさないこと。


小田原高校の近くには遺跡が多く、校庭も昔は小田原城の一部であったようです。校内には遺跡が点在していました。八幡社という神社が祀られていた八幡山古郭(はちまんやまこかく)という場所があったようです。淡嶋神社が祀られていた横須賀高校の記恩ヶ丘のような場所であり、意外な共通点を見つけました。小田原高校の同窓会の会報の名前が「八幡山」であることの理由が分かりました。歴史の説明板が整備されていて解りやすく、勉強になりました。

小田原駅の東口の階段を降りたところに、”小田原高等学校 発祥之地”という石碑がありました。1901年に“神奈川県第二中学校”が開校(初代校長 吉田庫三先生)した場所ということです。1914年に小田原駅ができた時に、現在の八幡山に移ったようです。

今日は、校史展示室はお休みでしたが、今度訪れる時に備えて場所をお聞きしました。南館の創立五十周年記念図書館という建物の3階にあるということでした。このような立派な図書館に校史の資料を大切に保管してあるのは、さすが歴史を重んじる伝統校だと思いました。

校史展示室が入っている南館

見学を終えて、階段を降りて、ひと息ついたところで上を見上げると小田原城が見えました。天守閣に登って、もう一度小田原高校のある場所を確認しました。小田原に来たら、やはり、この人に会っておこうと、その後に報徳博物館を見学しました。

小田原高校同窓会の会報「八幡山」もいただきましたが、しっかり取材された紙面で、伝統校としての風格があり、読み応えのある充実した内容でした。

同窓会会報「八幡山」

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