▶ある出会い(小川省二先生)

昭和三十二年秋、当時鎌倉に住んでいた私達夫婦が連れ立って、由比ガ浜通りを歩いていた時のことである。ゆるゆるとこちらに歩いてくる小柄な和服姿の老人と擦れ違った。擦れ違いざま立ち止まり気味に身体をねじると、そのギョロリとした眼で隣にいる女房の全身を足の先まで舐めるように見ながら通り過ぎた。一瞬の間であった。まだ二十二歳の妻は脅えたよう私の方に身を寄せて来た。嫌な爺いだと私は思った。と、待てよと、私は振り返ってその後ろ姿を見て、あ、やはり川端康成だと判った。

それから半年位の間、何故か何度も川端康成さんを見掛けたり、出会うことがあった。駅前のデパートの地下食品売り場で一人分位の総菜を覗き込むよういくつも買っている姿はしょぼくれた老人そのものであった。小町通りの曲がり角で鉢合わせしてぶつかりそうになったときは、顔を見合わせ思わず会釈してしまった。

今はもう無いが、鎌倉裏駅の前に映画館があった。そこに、室生犀星原作、香川京子主演の映画「杏っ子」を観に入った。映画は始まったばかりで場内は暗く、探るようにして席に座った。映画が終わって場内が明るくなり、隣の人と顔を合わせて互いに笑ってしまった。川端康成さんであった。

「よくお会いしますね、成瀬(巳喜男映画監督)は仲々やりますね。いい作品でした。杏っ子は室生さんの一人娘朝子さんで、実物もとても美しい人ですよ。ところで、またどこかで貴方とお会いしますかね」喋るだけ喋ると川端さんは、ではと言って席を立っていった。だがそれから川端さんとお会いすることはなかった。

考えてみるとこの時、この老人は日本ペンクラブの会長であり、やがて文化勲章、ノーベル文学賞受賞の華やかな人生を歩んだ後、昭和四十七年、逗子マリーナで自ら命を断ってしまった。だから、これはその十五年前の出会いということになる。(小川省二)
・神奈川県立高等学校退職校長会 平成十三年記(有朋)掲載

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