▶仰げば尊し(小川省二先生)

私の現役最後の年、その二月の初め頃であった。数人の三年生が校長室にやって来て

「僕達は卒業式委員会の者なのですが、本校で今まで卒業式の式次第に無い、仰げば尊しを今回歌いたいと思うのですが」
「それはいいね。では次の職員会議の議題に私が出しておこう」

やがて開かれた職員会議で、この議題に反対の職員と、私との意見の対立が続いた。

「常日頃、われわれ教員は、生徒に仰いでもらおうなどと思って教壇に立っていません。教師が本来対等であるべき生徒を、上から見下ろすことを称賛するような歌を式で歌うなど時代錯誤も甚だしい」

「成る程、でも貴方は多分、どの生徒からも仰がれない教師であろうと、私は前々から承知しています。ですから、貴方の仰がれたら困るという心配は無用だと思います。ところで、貴方の様な人でも小、中、高の十二年間で卒業する際、『あー、この先生とは離れたくないないな』と感じた恩師の一人や二人はいたのではありませんか。何の代償も求めず、親が子を、教師が生徒を、育て育む、ただ無心に尽くしてくれる。そうした行為を受けた者の心の中に、感謝の念、尊敬の思いが沸いてくるのは極めて自然のことではありませんか。仰ぐとか、見下ろすとか、そんな大仰なことでなく、生徒達がこの歌を歌いたいというのは先生方への感謝と、離れ難い、別れ難いという気持ちのメッセージだと考えて頂けませんか」

次に他の反対意見の職員が立って

「歌詞の中に、身を立て名をあげという箇所があります。これは社会に出たら他人を蹴落としても立身出世をせよと言っていることです。競争社会を肯定し、助長するとんでもない歌詞です。およそ教育の場で言ってはならない文言だと思います」

「ここ数年(三十年前のこと)の教員応募者数と採用者数は大体一定しています。応募者数七千、採用者数五百です。貴方の説によれば、この採用された五百人の教員は六千五百人の人を蹴落としたことになりますね。とすると、貴方自身もこの五百人のうちの一人なのですよ、それがそんなに悪いこと、とんでもないことだという貴方がどうして平然と教員としてそこにいるのですか、おかしいとは思いませんか」

こうした私と反対意見の職員とのやりとりが何回かあり、やがて採決となった。職員数八十、賛成五、反対七、大多数は意思表示なしという、まことに情けない採決で、この議案は否決された。

数日後、例の卒業委員会の生徒がやって来て

「職員会議で僕たちの案が否決されて残念です」
「そうだね。でも、こうなったら、かまうことない勝手に歌っちゃいなさい」
「えー、いんですか」

「式の最後に司会の先生が閉式の言葉を言う、すると教頭先生が立ち上がる。そうしたら、すぐに歌い始めなさい。君たちの仰げば尊しの歌が歌い終わるまで、教頭先生は壇に行かないことになっているからね。では、それまでしっかり歌の練習をしておきなさい」

卒業式当日が来て、式の進行も順調に進み、閉式の言葉となった。一寸、間が空いたが、やがて、仰げば尊しのアカペラの合唱が式場内に響き渡った。後ろの席で目頭を押さえるハンカチが、白い花のように幾つも揺れ動いているのが見られた。昭和六十年三月一日の昼下がり、その年の桜の蕾が膨らみかけた頃の話である。(昭和60年 小川省二)

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