♪ 獅子吼(ししく)のあとの法塔に〜(法塔十字路)

坂東武者の名を留めし、で始まる横中校歌の二番に「獅子吼のあとの法塔に」という歌詞があります。獅子吼を辞書で調べますと、「釈尊が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたもの」と出ていましたが、何のことを言っているのかさっぱり分からず、ずっと疑問でした。

先日、横高100周年誌「百年の風」の編集責任者であった若杉さん(高5期)にお聞きしましたところ、「獅子吼のあとの法塔」は日蓮に関係するもので、日蓮宗の法塔が横須賀高校の近くに残っているはずだと教えていただきました。そこで、横高の入学式の帰り(4月6日)にこの法塔を探してみることにしました。

衣笠十字路の近くに、法塔十字路という場所があったことが「百年の風」に書いてありましたので、地元の人に聞きましたが、その十字路を知っている人は、なかなか見つかりませんでした。ビッグデータにも入ってないらしくGoogleマップに載っていないのには困りました。諦めかけた時に横須賀市役所の名札をつけた人が偶然通りかかりました。聞いてみましたら、そんな名前の十字路は知らないが、古い塔が建っている小さな十字路があるよ、と教えてくれました。

 

1944年〜1954年の地図

1965年〜1968年の地図

2018年の地図

(今昔マップ)

行ってみると、そこが、まさに法塔十字路にあったという法塔でした。上の地図は、Googleマップに私が追記したものです。古い地図を見ると法塔十字路は、現在、法塔が置かれている場所よりも少し西側だと思われます。法塔十字路が、一番大きな十字路だったんですね。今の国道は、1960年代にできたもののようです。当然、衣笠十字路もその頃にできました。1944年の地図には、曹源寺の近くに中学と書かれた横須賀高校がでています。曹源寺の位置も今と違っていて、横中校歌の四方寸土(しへんすんど)の意味も分かりました。

向かって左側は約2メートルの高さの塔で表面に「日蓮大菩薩発願霊場」と書いてありました。右側の碑は「高祖大士行法霊地」と彫ってありました。

 

 

「ふるさと横須賀」の記事によりますと、「日蓮大菩薩発願霊場」の塔の書は龍本寺二十五世で、慶応元年(1865)六月に建立されたもの。「高祖大士行法霊地」の塔は、書は大明寺三十二世日潤で、天明元年(1781 )十月の日蓮五百遠忌(おんき)に村人たちが建てたものだそうです。大明寺と奥の院である龍本寺という日蓮宗のお寺を結ぶ途中に法塔を建てたのではないかということでした。「獅子吼のあとの法塔」の獅子吼とは、日蓮宗の僧侶が辻説法で教えを説いている姿の比喩だと思われます。

この法塔は、日蓮上人が生きていた時代に比べたらずっと新しいのですが、三浦半島には、猿島の日蓮伝説や金沢区六浦の上行寺の船中問答などの日蓮上人に関する逸話がたくさん残っています。日蓮上人は、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の小湊の出身ですが、当時は海路が発達していましたので、千葉から三浦半島に舟で渡ったものと考えられます。

衣笠十字路ができるまでは、法塔十字路がメインストリートで、法塔ベーカリーなどのモダンなパン屋さんなどもあって、人通りの多い賑やかな場所だったようです。法塔ベーカリーは大正時代に、ここで創業しましたが、現在は浦賀に移りました。この辺りには、その他にも法塔旅館、法塔文庫など法塔の屋号を使っている商店がいくつかあったようです。

 

この法塔は、不入斗から衣笠までの旧道の途中に置かれており、台座に「東浦賀・南三崎・西鎌倉・北横須賀」と彫られているところから、道標の役目も果たしていたのではないかと考えられています。吉田庫三先生が歴史的に重要なモニュメントとして、横中校歌の歌詞に入れたのではないかと思われます。このような歴史を知ってから横中校歌を歌うと、さらに味わい深いものになります。(高25期 廣瀬隆夫)

【参考】
・ふるさと横須賀
http://s2s.jp/furusato/furusato_main.html

・法塔『二大霊場を結ぶ』
http://s2s.jp/furusato/furusato_p65.html

・地誌のはざまに
https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-74.html

・法塔ベーカリーの歴史
http://houtou-b.com/history

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