鰻の蒲焼きの研究

グロテスクな蛇にも似た鰻を蒲焼きという手法により、鰻丼というエレガントな食べ物に仕立て上げた日本人。鰻は世界中の人に食べられていますが鰻丼以上の料理に出会ったことがありません。鰻丼は世界に誇れる貴重な文化遺産の一つではないかと思います。最近、鰻の値段が高沸して簡単に口にできなくなりましたが、私は、鰻丼が大好きなので鰻について調べたことや考えたことを研究成果として発表します。鰻がお好きな方がおられましたら、おいしい鰻屋さんをご紹介ください。(高25期 廣瀬隆夫)

■ 鰻はどこにでも棲んでいた
鰻は、今は高級食材となってしまいましたが、昭和三十年くらいまでは、ありふれた川にもたくさん棲んでいて、子どもたちが獲って食べていたようです。横須賀高校の近くに平作川が流れていますが、昔はこの川にも鰻が棲んでいたのではないでしょうか。私の家の近くには、侍従川という全長3キロほどの小さな川が流れていますが、子どもの頃に、この川で遊んだ古老たちがこんな証言をしています。

Gさん:土手の穴にはウナギが潜んでいましたよ。竹の棒にタコ糸と釣り針をつけて、ミミズを餌にして穴の奥まで差し込むとウナギが良く釣れました。天然のウナギなので、蒲焼きにすると大変おいしく、また、贅沢感を味わっていましたね。(昭和19年生まれ)

Nさん:大堰には、フナやどじょう、ウナギがたくさんいましたね。ウナギとりには、長い棒の先に餌の付いた糸をつないだ特別な道具を使いました。ウナギの棲んでいる穴のなかに餌と針を入れると、おもしろいように大きなウナギが釣れたものです。釣ったウナギは、家で料理してもらって食べましたよ。(大正6年生まれ)

Sさん:大堰の近くの奥まった谷戸には渇水期の用水のための大池があり、秋になると、この大池の栓を外して水を抜くんです。中にはウナギや小魚がいっぱいいて、子どもたちは夢中で捕ったものです。(昭和4年生まれ)

Aさん:我が家の石垣の隙間にはうなぎがいたようです。うなぎの採り方は、うなぎ針という長い大きな釣り針に糸をつけ、50cmくらいの細い竹竿の先にその針を取り付け、針には餌としてミミズをつけ、石垣の隙間にその竿を差し込んで採っていたようです。残念ながら私は一度も釣れたことはありませんでしたが、上手い人は沢山釣っていましたね。(昭和16年生まれ)

KHさん:八月末頃、大池の水が抜かれるんです。コイ、ウナギがいっぱいいて大人も子どもも夢中になって捕りましたね。これは一 年に一度の楽しみな年中行事でした。秋になって水の少なくなった川ではウナギ釣りをよくやりました。(大正12年生まれ)

THさん:侍従川に下水用の土管を埋める工事現場で遊んでいた時、友だちと大きなウナギを捕まえたことがあるんです。1週間くらい池に放して泥をはかせた後に、父にさばいてもらって蒲焼きを作ってもらって食べました。蒸さずに焼いたので、少し堅かったのですが、生まれて初めて食べた蒲焼きの味は格別で、今でも忘れられませんね。(昭和30年生まれ)

■ 良い鰻屋さんとは
さて、ここでは良い鰻屋さんについて考えてみます。ただし良いというのは私の個人的な判断ですので、この良い鰻屋さんの条件に従って鰻屋さんを選んで外れたとしても責任は取れませんが・・・。

・鰻丼の正しいの値段
1000円を切るような鰻丼というのは、ちょっと気持ちが悪い感じがします。腐りかけた鰻を安く仕入れているとか、一匹の鰻で十人分の鰻丼を作っているとか、そんなことを想像させます。鰻丼が牛丼と価格勝負しても無理があります。

かといって、5000円以上もする鰻丼というのも、いただけません。そういうのに限って鰻丼の他にマスクメロンだの、アイスクリームだの、金粉入りの梅酒だのが付いていたりします。鰻丼そのもので勝負できないので、周辺でごまかそうという店の作戦が見え見えです。

それでは、いくら位が適切な値段かというと、梅・1800円、竹・2000円、松・2200円と言ったところが、うまい値付けだと思います。日本人の中庸意識と2000円ならおつりがいらないという簡便さから、7割位の人が竹を選ぶでしょう。これなら生産計画も立てやすいと思います。(現在は、もう少し値段が上がってます(廣瀬))

・出てくるのが早ければ良いってものではない
座っ たら、鰻丼がすぐ出てくるような鰻屋さんはいただけません。こんなものどうせ、あらかじめ作り置きしてあったのを電子レンジでチンして出してきたものでしょう。 こんなんなら、コンビニでも売ってます。やはり、鰻は、その鰻丼が出来るまでの工程をじっくり考えさせるくらいの待ち時間が必要です。

鰻の蒲焼をつくるには、まず炭火をよくかき立てるのが五分、鰻を裂いて串にさすのが五分、白焼きにするのが七分、蒸しにかけるのが四十分、本焼きが五分と言われています。これだけで優に一時間。さらに「きも吸い」を暖めたり、漬け物を切ったりご飯を炊いたりする時間も勘定に入れたら、一時間でお膳が出たら早い方と考えるべきです。

では、感覚的にその時間はどのくらいが適切かと申しますと、ビールの大瓶をゆっくり飲んで、そのあと高校野球を見ながら枝豆を食べ終わるくらいの時間です。その間に鰻のたれの匂いで、ひとくち鰻を口に含んだときの感触を想像し、食べたさがピークに達したときに、ちょうど鰻が運ばれてくると言うタイミングが重要です。

・鰻屋さんの雰囲気
鰻屋には、それなりの雰囲気が重要です。高層ビルの中の 47階にある鰻屋にはその雰囲気がありません。また、地下の鰻屋もいただけません。やはり鰻屋は庶民の味方という作りの店が最高です。鰻を焼いている、さばいている所が外から見えて、何とも言えない鰻を焼く醤油とみりんの香ばしい匂いが漂う隙間だらけの日本的な建物が好ましいと思います。

昔、赤塚不二夫の「おそ松く ん」という漫画の中で、鰻屋さんから漂ってくる鰻の匂いをおかずにしてご飯を食べるというシーンがありましたが、鰻は庶民の生活の中にあるべきです。そう言う意味であまり大きな店というのも掟破りです。バブルで土地が売れて鰻屋でもやろうかという成金趣味の店は失格です。

・吸物について
肝吸いが別注文になっている店がありますがこれは邪道です。はっきり言ってだましです。肝吸いあってはじめて鰻です。赤だしが付こうと、なめこ汁であろうと全く意味がありません。これは鰻世界の掟です。ほろにがい肝の味覚がうなぎをひきたてます。

・山椒について
山椒も鰻には切っても切れないものです。山椒入れも金属製のものから、竹筒に入った物、瓢箪、茶さじの様な物ですくうタイプのものなど千差万別です。私は、 竹筒に入った物を最良と考えます。竹には湿気を防ぐという作用があり、山椒の風味を保つという意味からもこれがベストです。

・鰻の姿形について
鰻が出てくるときの姿は非常に重要です。楽しみにしてそのふたを開けたとき、考えていたイメージに合致したか否かで、それからの戦いの様相が一変します。大きな器に小さな鰻と小さめな器に大きな鰻では後者の方が評価は高いです。鰻の腹のあたりが少し盛り上がっているような物が私の好みです。

姿のもう一つの決め手は鰻の照りです。中には、この照りがまったくないものがあります。これは作ってから出すまでに時間がかかっている証拠です。手際の悪さを露呈しているようなものです。これはいただけません。何とも言えない醤油の照りが重要です。

・鰻丼の食べ方
鰻丼の好ましい食べ方は、陸上競技の100メートル走のごとくです。要するに無呼吸運動っていうやつです。ひたすら食うという姿がそれに似ています。おしゃべりなんかしている暇はありません。熱いうちに一気に胃袋の中に運び込む。そして、食べ終わった丼の中には鰻のたれと油が混ざった液体がうっすら残っていて、 丼を傾けるとそれが流れるくらいに素早く食べるのが正しい鰻の食べ方のような気がします。

■ 鰻にまつわる話
次に、長い間日本人に親しまれていた鰻にまつわる話をまとめてみました。

・土用の丑の日の由来
「土用の丑の日」というと江戸時代の学者兼コピーライターとして有名な平賀源内が、あまり流行らない鰻屋を繁盛させてやるぺく、その店の入口に、「本日土用の丑の日」と大書したところ、大変に人の注意をひいて客が集まったという話が有名で、それが起源と言われていますが、もう少し真実味のある説があります。

文政年間のある夏のこと、神田和泉町通りの鰻屋「春木屋善兵衛」のもとヘ藤堂という殿様から大量のウナギの蒲焼の注文がきた。何しろ大量なのでとうてい一日では作れない。というところから春木屋では、その土用の子の日と、丑の日と、寅の日の三日にわたって蒲焼を焼き、それを土がめに入れて密封し、その一つひとつに日付けをつけ、床下に貯えておいた。するといよいよ納品の際、封を切ってみたところ、丑の日の分だけ悪くなっていなかった。

そんなわけで「土用の丑の日」なる言葉は、この春木屋善兵衛の蒲焼の逸話に発しているという解釈。ものが腐りやすい暑い夏の日でも鮮度を保った土用の丑の日の鰻が夏負け防止に効くという所に平賀源内の逸話より説得力があるように感じます。ちなみに源内は宝暦年間に生きた人で春木屋善兵衛より50年も前の人です。これが逆だと源内が春木屋善兵衛の逸話を元にコピーを作ったというストーリーができあがるのですが真実や如何に。

・日本人はいつから鰻を食べていたか
日本人は随分古くから食べていたようです。万葉集の大伴家持の戯れ歌に「石麿にわれもの申す夏痩に良しという物ぞ鰻漁り食せ」というものがあり、万葉人が鰻を食べていただけでなく夏痩せに効くということを知っていたことが分かります。中国では漢の時代に肺結核にかかった娘を鰻で直したという話も伝わっており、随分昔から鰻のお世話になっていたようです。

・鰻の蒲焼きという名前のルーツ
蒲焼きの語源は3通りあります。第一は樺焼きから転じたという説。樺は白樺の木のことです。焼くと樺の木の表皮のような色になるというところから。第二は香疾(かば)焼き説。これは鰻を焼くとその香りが疾風のご とく伝わるというところから来ています。そして、第三が蒲焼き(がまやき)説です。昔は、鰻を料理するとき今のように裂かないで生きた鰻の口から竹串を刺して焼いたそうで、その姿が蒲の穂に似ているところからきたという説です。今でも岩魚や鮎は魚田楽として出店などでこのような形で売られています。

・山芋と鰻
「山芋変じて鰻となる」(物事が全く変わってしまうこと)という諺がありますが、鰻が突然畑に現れるということがあるそうです。それは、鰻は皮膚呼吸が出来て水から出ても長時間生きられるため洪水などで流された鰻が畑を這って川に逃げるところを目撃されたのかもしれません。私も昔、鰻の稚魚を池で飼っていたのですが、ようやく油が乗ってきて食べようとしていたところ、雨の日に集団脱走されてしまった苦い経験があります。

・鰻の産卵の不思議
鰻の産卵場所は デンマークのシュミット博士が四半世紀かけて調査した結果、太平洋の真ん中のサルガッソシーという藻の多い4000メートルの深い海であるということがわかっています。そこで生まれた稚魚は正確に自分の故郷に戻るそうです。この不思議な話は小学校の頃、教科書で読んで今でも覚えています。

・関西と関東の鰻の食べ方
「江戸の背開き京阪の腹開き」というように関東は、武士の世界でしたから切腹を嫌って背開きにしたあと、竹串を打ち、白焼きにして余分な脂肪をおとしてから蒸してから醤油・味醂のたれをつけて備長炭で焼き上げます。関西は腹開きにし蒸さずに5~6匹分をまとめて金串に差し、頭を付けたまま焼き上げます。境界は大井川だそうで、名古屋は腹開きだそうです。

・鰻丼のルーツ
文政年間に、大久保今助という芝居興行の金融業をしていた人が鰻が大好物ゆえ、いつも暖かい鰻が食べられないかと考えた末、芝居客の出前用に炊き立てのご飯の間に鰻を入れて、これにタレをかけたところ大評判になり、それから鰻丼が一般的になったということです。このとき初めて使い捨ての割り箸が使われたそうです。

■ 私が好きな鰻屋さん
私の好きな鰻屋さんをご紹介します。鰻屋さんが高級料理ではなく、気軽に食べることができる庶民の料理に戻るのを願うばかりです。

・隅田川
【キャッチコピー】
日本の伝統を受け継ぎ、昔のままの調理方法でサキたて、タキたての炭焼の味をご賞味ください

隅田川にあった店が江戸末期に金沢の地に移ってきたという歴史のある老舗です。朝、店の前を通ると生きた鰻が清水にさらされています。店の横から調理場が覗けるようになっていて11時過ぎに行って窓から覗くと、白焼きが出番を待っているの見えます。同じ鰻でも時期によって大きさが違ってくるので実際に入荷してみるまで、どんな鰻が来るか分からない、そのため、入荷の都度重さを計って値段を決めているそうです。八景島にも近いので帰りに寄ってみたらいかがでしょうか。柔らかくておいしい鰻です。

所在地:横浜市金沢区町屋町5-7
連絡先:045-701-8621
営業時間:午前11時~午後8時
隅田川の詳しい説明

・うなよし
【キャッチコピー】
伊豆の名物、数々あれど、うなぎといえば富士山の水で育まれた三島のうなよし

特上うなぎ丼

鰻好きの上司に紹介されて、まだ、暇とお金が少しあった数十年前の独身時代によく行きました。鰻がでてくるまでにかなり時間がかかるので、骨せんべいなどをつまみにビールを飲みながら、ゆっくり待ってください。特上うなぎ丼は、ご飯を掘り進んでいくと二匹目の鰻がご飯の下に隠れているんです。これを初めて食べた時は感動しました。改めて、うなよしのホームページで特上うなぎ丼の値段を見てびっくり。なんと7000円になっていました。

所在地:〒411-0848 静岡県三島市緑町21-6
連絡先:055-975-3340
営業時間:11:00~ なくなり次第終了
うなよしホームページ

【参考文献】
・講談社学術文書 魚の博物事典
・小学館ライブラリー たべもの噺
・東京堂出版 日本の味探求事典
・文春文庫 ベストオブ丼

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