▶小柴昌俊さん文化講演会「やればできる」

平成17年3月10日

横須賀高校創立百周年記念行事 記念講演(第1回)

平成17年3月10日(木)に、小柴昌俊東京大学特別栄誉教授 をお招きし、「やればできる」と題しての文化講演会が催されました。

レポーター: 岡花 弘幸(高31期)

冒頭、学校長挨拶の中で、平成基礎科学財団への募金のお願いが述べられ、プロフィール紹介の後、講演が始まりました。以下概要をまとめてみました。(要約文責:岡花)

■ 他人を頼りにせず、やればできる

“やればできる”という題ですが、大人でも若い人でも、世の中そんなに甘いものじゃないと感じる人が多いでしょう。これは、本気になってやればできるということを伝えたいという意味です。ただ、どうやればいいのかは、何を、誰が、やるかで違ってきます。だから、人の話を聞いて、あなたが同じようにやってもダメです。それぞれ、どうやったらということは違うので参考にしかなりませんが、聞いてもらおうと思います。

私がやってきた事を列挙しますが、今日は、この中で、小児麻痺にかかったときの話、平成科学基礎財団を設立したときの話、そして最後にカミオカンデの実験を指揮したときの話をしたいと思います。

最初に、自分一人で、なんとかしなければならないこと。他の人は頼りにできないということについて話します。私が中学に入って得意になっていた頃です。入ったのはいいが、4ヶ月たったところで小児麻痺にかかってしまいました。両手と両足が麻痺して、おまけにジフテリアにまでかかってしまいました。ジフテリアは2週間ぐらいで治りましたが、麻痺のために寝たきりです。

一番困ったのが風呂です。家に手伝いに来ていた二十歳くらいの女性に負ぶってもらって脱がしてもらって洗ってもらって・・・これは、みじめで情けなかった。なんとか自分で動きたいと思いました。3週間くらい、芋虫のようにモゾモゾ動くようにするうちに、両足・左手だけは動くようになりました。右手は麻痺が強く、いまだにいけません。それでも、これで一段階は、よかったなと思いましたが、中学校を2ヶ月休んでいる。このままでは2年生になれず退校になるにちがいない。こんな体で中学校も出ずに、どうやって生きていったらいいんだろう。そう思ったら、なんとか通わなきゃと思いました。

最初は、どぶ板通りからバス通学だったのですが、ステップ2段を上がることは無理なので、歩いて4キロほどヨタヨタと片道2時間ほどかけて通うようにしました。いっぺん、つまずいて転んだときがあります。こうなると自分では起きあがれません。仰向けになって空を眺めて、どうなるんだろうと悲しくなりました。そこへ知らない小父さんが通りかかって、起こして「がんばれよ」とポンとたたいてくれました。そうしていくうちに、だんだん体がつかえるようになりました。私が困難にどう立ち向かったかは以上です。

■ 多くの人の応援をどう得るか

次に、自分一人で頑張ってもできないこと。多くの人の応援をどう得るかについてお話します。くわしくは財団のホームページ(http://www.hfbs.or.jp/)を見てください。

私は全国の国立大学が独立法人になる話を聞いたとき、すぐに浮かんだのは、必ず独立採算ということが言われるだろうということです。文学部や理学部は、つらい思いをするとピンときました。そこで、日本の基礎科学を応援したいと考えました。実験というのは何百億円とかかるので、財団一つをつくって出してやることの出来る金額ではありません。でも、国民一般の応援、若い人の目を向かせることはできると考え、つくりたかったのです。

一高時代の仲間は、この利率が低い時代だから、年間の事業費も出せずにつぶれているところがあるし、今から、つくろうたって何十億円も寄付してくれるところがあるはずはない、寄付してくれるところがあっても低利息じゃ無理だから、やめろやめろと言いました。私は、なんとかできないかと考え抜きました。人は、どういうことを種として、応援してくれる気持ちになるのか考えました。まず、やろうとしている責任者が、どういうことをやってきたかという経歴・実績です。次には責任者当人が、どのくらい本気になっているか、はっきり形に示さないと応援する気にならないだろうと考えました。

財団設立には最低1億円の基本財産が必要でした。ノーベル賞でもらった3,500万円とウルフ賞の500万円を出すことに決めました。不足の6,000万円は浜松ホトニクスの晝馬さんにお願いすると、「わかりました」と翌日振り込んでくれました。設立の準備はできましたが、事業費はありません。そこで、当人がどれくらい本気かを示すために賛助金として私の6冊の著作の印税が年間150万円になるでしょうか、振り込むことにしました。

身内にも賛助金を募り、キャンペーンを始めました。基礎科学というのは特定の産業に利益をもたらすものではありません。知的財産をちょっぴり増やすだけのものと言えるかもしれません。日本国民全員ひとりひとりが年に1円で自国の基礎科学を応援してくれないかというキャンペーンです。賛助会員になってくれた市や町もありますが、高貴な御二方も昨年10月末に20万とんで2円をご下賜くださいました。国民の象徴として平成16年度分の2円と17年以降10万年分の賛助金だというふうに受け取っています。それから方々の市や県も、それを見て方々の市や県からの賛助もふえてきたところです。

■ ニュートリノの人類最初の観測に成功

最後に神岡でやった実験についてお話します。
[言い訳~専門的なお話で、聞いただけでは文系人間の私には理解の及ばないところがありまして、申し訳ありませんが、さらに、はしょります。:岡花]

国から3億円出してもらえるといったときに、アメリカが同じやり方で10倍の予算をかけ水量も7倍かけるという話を聞いたときは愕然としました。なんとか、叩き潰したいと思いました。そこで、1,000個の光電子増倍管の数は同じにして感度をよくしてやろうと考えました。浜松ホトニクスの社長を呼んで、共同開発しようと3時間、口説いて、これができました。そして大マゼラン星雲で超新星が爆発したときのニュートリノを、人類最初の観測に成功しました。また、ニュートリノは質量が0ではないことの発見にもつながりました。

日本で生まれたニュートリノ天体物理学は、大気ニュートリノの観測によってニュートリノ質量の存在が神岡の実験で出たことから、世界から「神岡に行かねば」と、メッカのように言われるようになりました。最後にニュートリノで太陽のイメージを描いた人類最初のニュートリノグラフを見てもらいます。下はニュートリノで見た銀河座標上の太陽の軌道です(画像参照)。このグラフの太陽は解像度が悪いですが、みなさんの中から、もっと解像度の高いものを撮ってくれる人が出ると、うれしいです。

以上のお話の後、質疑応答で、生徒から「太陽で起こっていることで、わかったことは?」「カミオカンデとスーパーカミオカンデの違いは?」「質量0の可能性があるものは他にあるのか?」といった質問が寄せられました。

最後に生徒を代表して生徒会長から謝辞と花束が贈られました。

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